History

鉄道の歴史

SLと真摯に対峙した時、歴史や人々が紡ぎ上げてきたドラマ・・・
私達はそこに単なるメカニズムを超えた奥深いロマンを感じずにはいられません。
深く静かに、永い時を通じて愛され続ける。先人たちのロマンが息づき、鉄道の数々の物語が刻まれている。
それは永い歴史が私達に残してくれたかけがえのない贈り物です。

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トイ・トレイン及びライブスティームの歴史

部品を丁寧に組み連ねていく。幼い頃、小さな模型の中に無限の宇宙を感じるように、ライブスティームを組立てる作業は、忘れていたときめきへの旅。小さなパーツの一つ一つには、先人達のロマンが息づき、鉄道の鉄道模型の数々の物語が刻まれている。それは、永い歴史が私達に残してくれた、かけがえの無い贈り物です。


トイトレインの歴史

今日トイトレインと呼ばれるものがいつどのようにして生まれたかは定かでない。動く最初のものは「ぜんまい仕掛」のトイトレインであった。
米国ではコネチカット州ForestvilleのGeorge Brown & Co.が1856年に作ったのが最初といわれている。これ以前ではドイツババリア州ニュールンベルクの時計メーカーに刺激されていくつかのメーカーが「ぜんまい仕掛」で動く「おもちゃトレイン」を作っていた。これはレールの上を走るものではなくカーペットの上を動くのでカーペットトイと呼ばれていた。
フランスでは1859年ナポレオンⅢ世の息子のために模型鉄道が作られた。20cmゲージの石炭炊きライブであった。宮廷で遊ぶもっとも高価なおもちゃであった。
1829年レインヒルトライアルでのロケット号の成功で本物の鉄道機関車が作られるようになった。これ以前ではスチーブンソン兄弟のロケット号、トレベシックのCatch me who can,が、スタンダードゲージで、Timothy Hackworthが、1826年の10cmゲージのライブモデルを商業用として作成した。


1850年代になってトイトレインが出現

ドイツにおける最初の商業鉄道はNurnberg – Furz間のLudwigsbahnで1835年開通。
最初に使われた機関車が英国人ロバート(ジョージの弟)スチーブンソン製作のDer Adler(=Eagle)号だった。
その百年後100周年記念にメルクリンがOゲージでアドラー号を製作。
1835年代すでにNurnbergは、トイメーカーの中心地であった。同鉄道開通後まもなくして鉛とブリキでできたトイトレインが売られ始めていた。
同じころフランスでもブリキのトイトレインが作られるようになった。
フランスの最初の商業鉄道はドイツより7年早く1828年開通(St.-Etienne Andrezieux)間。


【ドイツ初期メーカー】
・1859Maerklin人形用キッチンをブリキで生産
1863年BING社
(メルクリンよりも歴史は古いが、設立者がユダヤ人だったので、No.2となった。1933年まで存続. 第一次大戦前は5千人を抱える最大のトイトレイン会社だった。ライブと発条仕掛け(クロックワーク)トイ。
ニュールンベルグスタイル=ブリキにリトグラフ印刷、パンチング、プレスと言われるマスプロシステム〈低価格〉に強み=メルクリンと競争
1880年Maerklin社 模型機関車ブリキ製でデテールは、はんだ付けと手塗り。高価
・1886年仏人George Carrettが最初はBing社の援助でスタート
Nurnberg Carrette社の2-2-2ライブ(Oscilating)1895年に1番ゲージで作られた。(ドイツで3番目の鉄道模型会社)
カレット氏は、フランス人だったため1917年ニュールンベルグから追い出された。ライブ主体
・1887年 Fleischmann
1881年 Ernst Paul Lehmann in Brandenburg-am-Havel)
・1880年 Guntermann
・1886年 ErnstPlanc
・1851年 KarlBub
・1898年 Doll&Cie
・1875年 Schoenner
・1891年 by Maerklin Clockwork Train set displayed at Leipzig Spring fai


メルクリン社は、トイトレインを鉄道模型システムのうちのひとつとして位置つけた最初のパイオニアでありまたゲージを分類した最初の会社。これが以後のトイトレインの発展の基礎となる。
最初の「システム鉄道」とは、ゼンマイ仕掛けの機関車と客車、そして拡張可能な線路システムからなる鉄道システムであった。


【英国初期メーカー】
・1899年 Bassett-Lowke(バセットルーク)社設立
同社はFather of Model Railways(鉄道模型の父)と呼称されている。


Wennman J.Bassett-Lowke)1900年のパリ博でBing,Maerklin,Carrette社のトイトレインに感銘を受けた。Bing—Bassett Lowkeは1933年まで提携。
(Bing=Piston Valve, Double acting cylinder system)
Gauge 3 (63mm or 75mm), Gauge 2(54mm), Gauge 1(45mm or 48mm) & Gauge O (32mm or 35mm).
1890年まではゲージのスタンダードは無かった。
この頃にスケールとゲージが国際的に標準化された
0ゲージ(32 or 35mm)-1番ゲージ(45 or 48mm)-2番ゲージ(51 or 54mm)-3番ゲージ(72 or 75mm)が、規格化された、鉄道模型用の軌間であった

1891年Leipzig Spring fair Maerklin catarog(ライプチヒの春祭り用のメルクリン社のカタログ)でゲージを分類0-1-2-3
ついで1894年MaerklinのライヴァルBingがメルクリンにならってゲージを分類:37–48 – 60 –75mm
1895年ビング社のカタログでゲージを正式に分類した。O=35 I=48 II=54 III=67 IV=75mm
以後他社はメルクリンやビングのゲージにあわせて模型を作るようになった。


【アメリカ初期メーカー】
最初はクロックワークとライブ初期のメーカー。
主な者はEugene Beggs of Paterson,NJで1875年にライブトレインのパテントを とった。この模型は今のgauge one(45mm)の大きさで4-4-0だった。
1906年まで存続。
1882年Weeden Manufacturing Co. Massachussets :
ゲージ2のアルコール炊き2―2―0 Oscilating engine.


19世紀の、もうひとつのメーカーは、ベッグから別れたJohn Garlic社1904年まで存続。
20世紀変わり目頃から輸入物(Maerklin, Bing, Carrett, Schoenner)が横行。
最初の動くトイトレインはライブであった。そしてクロックワークがすぐそれに続いた。


動力について

世紀の変わり目まではトイトレインの動力は、クロックワークとライブスチームであった。
1892年にカレット社が最初に電動トイ(Street car-Tram)を出したが性能は良くなかった。
これは2線レール、バッテリー搭載のものだった。
1895年Schoenerも電動をだした。しかし電動で最初に成功したのは、1897年アメリカのモーターの会社が作ったトイトレインが一番良かったとされている。カーライル&フィンチ(シンシナチ、オハイオ)
ヨーロッパでは、最初の電動トイトレインはメルクリンが1898年蒸気機関車模型に電動モーターを搭載して製作したのが最初と認められている。
メルクリンは、世紀の変わり目には、ぜんまい仕掛(クロックワーク)、ライブスチームと、電動モーターの3本立てであり、4種類のゲージ(軌間)、0ゲージ・1番ゲージ・2番ゲージ・3番ゲージが規格されていた。
当時はメルクリンが最強のメーカーであった。
Bing, Carrette, Schoener & Plank社はメルクリンに追随した=真似をした。
安物はイスマイヤーとヘスだった。
20世紀に入って、比較的妥当な値段でトレインセットが手に入るようになった(小さい円レール、機関車.客車のセット).ドイツメーカーはアメリカへの輸出競争が始まった。
モデルはClockwork(ゼンマイ仕掛けの) Gauge 1-2-3と live steam.モデルであった。

Ex. Schoenner :85mm live for USA, 67mm, 115mmlive for USA.直線走行のみ

BingはIssmayerが供給した0ゲージクロックワークトレインを米国に輸出
Live Maerklin 2番ゲージのセットで米国に輸出
前世紀末までドイツ製トレインの方がアメリカ製より優れていた。
アメリカの輸入業者もトレインの国籍にとらわれず。ドイツ型機関車でも受け入れられた。
アメリカのメーカーが20 世紀初頭 IVES台頭(火災保険で設備一新)
初期のモデルは、メルクリンなどドイツメーカーのコピー、しかし1904年1番ゲージで4-4-0発表。 従来のドイツ路線とは別物でもっとも良いもの〈当時〉と認知された。
メルクリンは20紀初頭より電動に力を入れた。ビングは1908年まで電動に、はいらなかった。
カレットも電動は、世紀末に作ったものの良くなかった。当時電動には興味があまり無かった。
1906年のバセットルークのカタログでは300機種の機関車模型が乗っているが、電動は、メルクリンの2-4-0Charls Dickens(アスターのジャンボと類似)号の模型のみだった。
アメリカでは1910年頃まで電動は一般的ではなかった。
Bing& Ives introduced electric version around 1910.
このころライオネルがアメリカで普及開始。
カーライルフィンチやVoltamp(ボルタンプ社は、メリーランド州ボルチモアに拠点を置く、初期のアメリカの鉄道玩具メーカーでした)などの2番ゲージ電動はマイナーであった。


1914-1918年 BINGとカレットはバセットルーク向けにライブモデルを作った(英国向け:グリーンリー設計のもの)Carrettは、戦争によりフランス帰国。バセットルークライブはGWR鉄道員の訓練用としても利用された。
バセットルークの黄金時代。従業員300人。
大型機関車はトルコのサルタンやインドのマハラジャ向けに製造。英国では第一次大戦前夜各鉄道会社が激しく競争していた。.鉄道会社の宣伝用に3万台のOゲージ機関車をカレドニア鉄道向けに受注(1910年前後)
≪クロックワークのCardean No.903,4-6-0≫Carrettが生産、超低価格6シリング。
第1次大戦後は小さいゲージがはやった。
金持ちは自動車に向かったので大型機関車売れなくなった。
カレット停止、Bing製は反独感情で輸入不可。しかしBINGの名前と原産地を明記しないで輸入続行。
1924年Oゲージの最初のライブは失敗だった。1気筒Oscilating(オシレーティングエンジン).前進のみ。
1925年Oゲージライブに再度挑戦し成功MOGUL型。
英国競合メーカーのBOWMANがスケールプロポーションのOゲージ4-4-0だして、英国製を高らかに歌い上げた。
バセットルークの4-4-0も良かったのだが、BING製だった。
1922年最初にHOゲージを商業生産、グリーンリー設計、BINGが生産。BINGは大戦後復活(ミシン、タイプライター、玩具の巨大メーカー)(0ゲージの本格的開発が始まったのが1911年、それ以前は1番と2番ゲージが主)しかしアマチュアの間では、20世紀初頭にはHOも試みられていた。バセットロークのHOはリアリズムを追求したものではなかったので失敗だった。1935年以降メルクリンが、HOの世界を支配する処となった。
1924年Henry Greenly vs. LBSC(writer to Model Engineer magazine)激論争、アルコール対石炭。
走行時間と牽引力の比較テスト実行。


1926年 メルクリン社は、新しい20ボルトシステムを採用することで、従来から家庭用電源で運行されていた電気列車の安全性を向上させた。1930年代初期メルクリンと0ゲージ電動で契約。設計はHenry Greenly。スクール、キングジョージ5世号,LMS4-6-0を生産。ナチの台頭でBINGとの取引が困難となったためと、メルクリン社のワイヤー巻き電動モーターは磁石モーターより強力だった。その上、整流器が安価であった。
Lionel(ライオネル)1901設立 by Joshua Lionel Cowan。21/2inch 電動しかしこのゲージは失敗作であった。そこで1906年に21/8inch(約57mm)ゲージで製作。Lionel(ライオネル)はこれをスタンダードゲージと呼び独自路線をしいた。しかしアメリカ人にはドイツものは複雑すぎる。米人は大きく、へヴィーで、しかしシンプルな模型を好んだ。これが3線式の電動だった。
1932年までIVES支援、IVES倒産。大型ゲージはアメリカでは1929年の恐慌を境に終焉。
LIONELはイタリア工場閉鎖、イタリア式デザインから脱却。
大恐慌後鉄道会社は、流線型機関車による顧客獲得競争。流線型が、恐慌後の希望のシンボルとなった。
LIONELの欧州式標準ゲージは、廃れた、流線型機関車でOゲージに進出。Tin-plate(ブリキ製の模型)がメインでした。
American FlyerもLIONELより小型のOゲージで復活。よりデテールをつけたダイキャストで製作しました。
第一次大戦後の1935年、メルクリンは「O」スケールを半分のHOスケールにすることで、鉄道模型の世界を広げました。コンパクトなサイズにより、卓上鉄道として本格的なレイアウトを構築できました。さらに、現在のレールシステムは設置が容易で、信頼性の高い動作を実現しました。
BASSETT-LOWKE(バセットルーク社)の復活。1935年頃0ゲージのFlying ScotsmanとRoyal Scotで復活。
Bing(ビング社)が無くなった後メルクリンと提携し(1935年ころ数年間) メルクリン社製キングやスクールズなどを0ゲージで発売。最後のドイツ製模型。
1930年代頃までには1番ゲージは人気を無くして、0ゲージが主流となった。
1938年にはメルクリンカタログから1番ゲージが無くなった。0ゲージは主流となった。Fleischman が0ゲージで模型を出し始める。Fleischmanは古いトイメーカーだった。
1938年、メルクリン社は交流システムによる遠隔操作で逆転を可能にする完璧な回路を開発した。これは、実物そっくりの鉄道模型への大きな一歩となった。
Oゲージ普及とともにリアリズムを追求が活発化トイトレインの縮尺模型化の動きが出現。その解決策がHOゲージであった。
1935年メルクリンはHOゲージ〈0ゲージの半分〉低コスト、より優れたプロポーション、メルクリン以前にも27mmゲージで生産したメーカーがあったがリアリズムを追求するという哲学から生まれたものではなかったため普及しなかった。TRIXはメルクリンと同じ16.5mmゲージ、しかし縮尺はメルクリンよりも少し小さい1/90スケールで生産〈メルクリン社は1/87〉。TRIXはBING社のStefan Bingが設立。
TRIXのものはメルクリン社ほどスケール的には良くなかったものの電気的にはメルクリンより優れていた。
ナチ台頭でBing氏(ユダヤ人)は、英国でTRIX模型生産
Hornbyは大陸でのHOゲージに興味をもち、TRIXのパフォーマンス重視より見た目(格好)重視のシステムでHOを生産。しかしスケール(旧BINGのTabletop scale 1/76)とゲージのミスマッチ。

終戦直後アメリカが優勢で、LIONELとAmerican Flyer(Sゲージ)が優勢となり、ヨーロッパ勢は劣勢だった。しかし
1968 Lehmann LGB発表全天候用の優れもの
1969 Maerklin introduced the Gauge 1 again.
1972 Maerklin Mini-Club in a scale of 1/220. gauge one to Minim-club.
1975 ASTER 社は、1890年代の華やかな蒸気機関車のおもちゃを復活させるべく、ゲージ1のライブスチーム鉄道を発売しました。ゲージ1の模型は1930年代頃に姿を消し、ライブスチームもほぼ同時期に姿を消しました。それから40年後、ライブスチームとゲージ1は復活を遂げたのです。


TOY TRAIN 歴史年表

1784 James Watt 蒸気機関を発明
1825 イギリス商業鉄道開始 (Stockton-Darlington) George Stephenson “Locomotion”
1828 フランス商業鉄道鉄道開通 (St.Etienne—Andrezieux)
1829 Rainhill Trialで”Rocket”の成功
アメリカ商業鉄道〈B&O鉄道創業〉
1830 Liverpool-Manchester Railway開通
1835 ドイツで商業鉄道開始(Nurnberg-Furz)
1843 British Toy makers producing steam locomotives (Dribblers)
Steven’s Model Dockyard社
1851 Karl Bub
1854 ペリーが、蒸気機関車模型を江戸城でデモ
1855 佐賀藩、模型蒸気機関完成
1859 Maerklin社創立(ままごと遊び用キッチンをブリキで生産からトイトレイン生産へ)
1861 独Issmayer
1863 独BING社〈第一次世界大戦までは5000人を超える最大のトイトレインの会社
Clockwork & Live steam
1868 米国IVES社創業
1868 明治維新
1870-71 普仏戦争
1872 新橋―横浜鉄道開通
1875 独Schoenner社設立
米Eugene Beggs of Paterson, NJ, 一番ゲージライブ4-4-0生産(1906年まで存続)
1877 独Guntherman
1878 エジソン白熱球発明
1879 Siemens 電車発明
1880 独メルクリンsheet-metal toy train
1881 独Ernst Paul Lehmann in Brandenburg-am-Havel, lithographed metal toys w/ clockwork
1882 米Weeden Mfg.Co., Massachusetts2番ゲージアルコール炊き2-2-0Oscillating
1886 独CARRETT社(仏人George CarrettがNurnbergで設立)LIVE STEAM
独Ernst Planc社 (Nurnberg:Mecca of Toy Trains)
1887 独Fleischman社
1891 Leipzig Spring Fair: Maerklin社System Railroadとしてトイトレインを展示
またゲージをはじめて分類 1(48mm)-2(54mm)-3(75mm)
1892 CARRETT社電動トレイン〈2線式、バッテリー搭載〉性能良くなかった
1895 Schoennerも電動トレイン
1895 米Carlisle & Finch社Cincinnati, Ohio)初めて高性能の電動トレイン生産
1897 Diesel機関発明
1898 独Falk & Doll
1899 “Model Engineer and Amateur Electrician “by Percivall marshall
アマチュアおよび学生のためのメカニックと電気の雑誌
1899 BASSET-LOWKE社
1899 独Distler
1900 Maerklin 電動生産〈ヨーロッパでは最初の電動トレインと言われている〉以後メルクリンは、クロックワーク、ライブ、電動の3本立て。0-1-2-3の4種類ゲージで。電動に最も力を注ぐ
ドイツメーカーの米国への輸出競争
1901 Bassett-Lowke創業 Wennman J. Bassett-Lowke〈クロックワーク、とライブ〉
1902 Paris万国博、Bing, Carrette, Maerklinなど出品、Bassett-Lowkeと交流スタート
1903 ライト兄弟飛行機発明
1904 IVES台頭〈火災保険で設備一新〉最初はメルクリンなどのドイツ製トイトレインのコピーから決別
独自路線へ
1905 LIONEL 2 1/2 gauge(57mm) = Standard gauge
1909 米ベークライトがベークライト樹脂発明、以後プラスチック出現
1914-1918 第一次世界大戦
1915 LIONEL O-Gauge
1917 Carrett社ドイツより撤退(フランス人だったためニュールンベルグを去る)
1919 Winteringham (British) produced for Bassett-Lowke
Bing also produced trains for Bassett-Lowke
1920 英Hornby 社(Liverpool) トイトレインマーケットに参入開始
1922 Bassett-Lowke HOの商業生産―売れなかった
1929 大恐慌
1932 IVES倒産
1933 BING社創業停止(NAZIの台頭による)
1935 Maerklin HO gaugeで模型のリアリズムを追求し始める
1938 Maerklin 1番ゲージストップ。(1969再び1番ゲージ導入)
1945 第2次世界大戦終る
1947 Hornby 社が鉄道模型生産再開
American Flyers “S”gauge & Lionel “O” gauge
1950s ドイツ模型メーカー復活
日本模型メーカー(KTM,etc.)誕生
1965 Bassett-Lowke終業。
1968 LGB Gauge=G gauge)≪雪雨の中でも完璧走行≫
1969 Maerklin Gauge One(1/32)復活
1972 Maerklin Mini-Club (scale 1/220)
1975 ASTER HOBBY 創立、LIVE STEAM “SCHOOLS” in GAUGE ONE生産
1980s 一番ゲージ普及
1988 ASTER+LGB提携 FRANK S in gauge one live steam.
2000 中国 Accucraft LIVE STEAM TRAIN


1840-1890  黎明期 ≪トイトレイン≫
1891-1930  発展期 ≪0番1番2番3番ゲージ≫
1931-1970  リアリズム追求の時代≪0―HOゲージ≫
1975- ライブスチームルネッサンス≪一番ゲージの復活≫Gauge one live stem Renaissance
≪ライブスチームの復活(1975)≫
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